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日本社会とグローバル化

これからの英語学習の意義と「コミュニケーション方略3.0」

著者 : 佐藤 洋一

みなさん、こんにちは。前回、日本社会の歴史的変遷と企業研修の様態の変化についてご紹介しました。AI技術を活用した機械翻訳が一般化しつつある現代社会において、人間が自分で苦労して外国語を勉強し、自分の口で話すことの意義が薄れつつあるのではないか、と言う危惧を抱いている教育関係者は決して少なくありません。苦労して英語を勉強せずとも、自動翻訳アプリなどを活用すれば、正確なネイティブ発音で、文法的に誤りのない表現を用いて意思伝達が可能となるのではないか、と考えるビジネスパーソンもいらっしゃるでしょう。それだけでなく、近年、機械翻訳の精度が急に高まったことも指摘され、仮想現実(VR)や拡張現実(AR)などの技術発展により、コミュニケーションのチャンネルも大きく変化しています。このような変化の激しい時代に、外国語コミュニケーションという事象をどうとらえるべきなのでしょうか。


私はこのような激動の時代だからこそ、英語学習の意義はより高まっていくと考えています。これからの意義機械翻訳やAI技術ではカバーしきれていない領域、「コミュニケーション方略(communication strategies)」と呼ばれる領域が鍵になってきます。

コミュニケーション方略とは、一般的に「外国語使用の困難さを克服するため、目的をもって使われる能力と定義されています。このコミュニケーション方略は、近年、国際ビジネスコミュニケーションの研究分野でも、より効果的な英語コミュニケーションのあり方を考えるための手がかりの一つとして注目されています。


初期のコミュニケーション方略



この研究は、1980年代にその端を発すると言われています。当時、第二言語習得研究の大きな拠点であったカナダを中心に、コミュニケーション方略は、外国語使用の困難さを克服するためのものとして提案されました。例えば、習熟度の高い学習者は、文法的に不正確な発話をどのように回避しているのか、語彙の不足をどのように補っているのか、相手の言っていることが聞き取れなかった時にどのように対処しているのか、などを洗い出すことが研究の主眼でした。わたしは、このアプローチを「コミュニケーション方略1.0」と呼んでいます。このコミュニケーション方略1.0の知見は、すでに企業英語研修でも積極的に取り入れられており、カリキュラムが体系立てられています。



しかしながら、「コミュニケーション方略1.0」の考え方は、非ネイティブ・スピーカが「コミュニケーション能力に欠陥のある話者」であるという前提に明らかに立脚しています。1990年代、このようなものの捉え方は、第二言語習得の研究者のバイアス(強い思い込み)を強く反映したものであると批判をする研究者たちが徐々に台頭してきました。そして1990年代後半になり、ついに非ネイティブ・スピーカーの言語能力をネイティブ・スピーカーのそれと比較して論じると言う事の限界点が指摘されるようになります。それに伴い、今までと異なるアプローチでのコミュニケーション研究の必要性が提案されるようになりました。



情報の受信から発信へ。インターネットの発達に伴う大きな変化


2000年代になり、コミュニケーション方略の捉え方は大きく変わります。それまでの心理学的なアプローチだけでなく、社会学的なアプローチを採用したコミュニケーション方略の捉え方が広がっていきます。特に、情報伝達をスムーズに行うためにはどのようにすべきかという、「コミュニケーション能力2.0」が注目されるようになります。この背景には、2000年代のインターネット技術の発展に伴う急速な国際化に伴い、これまでのような情報受信型の英語だけでなく、情報発信型の英語使用の必要性が急速に高まったことが挙げられます。そして、このような「コミュニケーション方略2.0」は、企業研修の文脈の中でも、主に効果的な英語プレゼンを行うためのトレーニングという形で導入されていくようになりました。


インタラクティブ性を意識した新コミュニケーション方略


そしてグローバル化・デジタル化の時代が到来した今、情報発信のためのチャンネルが大きく増え、情報発信のあり方も急速に変化しつつあります。これまでのホームページ等による一方向的な英語による情報の発信技術に加え、TwitterやFacebookなどのソーシャルメディアで、相互行為を通した双方向的なコミュニケーションチャンネルが多く開かれるようになりました。このような時代に必要になるのが、「コミュニケーション方略3.0」と呼ばれる考え方です。これは、いかに相手と円滑な人間関係(ラポール)を構築するのかに主眼を置いた言語使用のあり方のことです。このラポール・マネジメント能力自体は、他文化マネジメントなどの研究領域で、コミュニケーション能力とは切り離されて扱われてきました。しかしながら近年、例えば、依頼の際にどのように相手の心理的負担に配慮するのか、助言をする際にいかに相手の面子を傷つけないようにするのか、などの、コミュニケーション研究分野、とりわけポライトネス(配慮)研究の一領域としても注目を集めるようになってきています。また、「コミュニケーション方略3.0」を視野に入れた教材作りも進んでいます。例えば、播磨書院さんから2019年に出版された 『Strategic Management in Business English』(共著)は、このような「コミュニケーション方略3.0」を意識した教科書です。この教科書は、私の同僚で企業研修コンサルタントのスティーブン・スモーリー氏と、わたしの共同研究者で元教え子の新米・企業研修講師と一緒に書き上げたものです。このように、コミュニケーション方略をどう捉えるのかに関する理論面での整備が進む傍ら、コミュニケーション方略を効果的に教えることのできる企業トレーナーがごく限られているという問題も表出し始めています。今後、日本企業で企業ビジネス英語研修をより効果的に導入していくためには、このようなコミュニケーション方略、特にビジネス・コミュニケーションの研究的知見をしっかり踏まえて、それを的確に教授できる企業トレーナーの育成が求められます。次回の記事では、このような企業トレーナー育成について、わたしがある企業と産学連携という形で行っている取り組みを紹介したいと思います。